“男性職員が当たり前にいる乳児院”を目指して

看護師長
職員インタビュー

看護師長
いつでも帰ってこられる場所に
助産師として長年、日赤医療センターで周産期医療に携わってきた柳村師長が、乳児院に来て今年で4年目になる。
看護大学を出てすぐにNICU・GCUに配属された柳村さんは、そこで初めて受け持った赤ちゃんの死と直面する。生後10日だった。
「どうすればこの命を救うことができるのだろう」と悩んだ柳村さんは、その後、助産師学校に進み、助産師になる道を選んだ。赤ちゃんがお母さんのおなかにいるときから関わることで救える命があるのではないか。そうやって20年以上「母と子」を手助けする助産師として働いてきた柳村さんが、今度は、その後のお子さんたちの成長をサポートする乳児院の師長となった。
これまで多くの親子を見てきた柳村師長は、今、乳児院とどのように向き合っているのか。そしてどのような夢を描いているのか。
子どもを通して職員とつながる
― 乳児院の師長にならないかと言われてどう思われましたか?
私は産後の育児サポートをしたかったのですが、病院ではこれ以上できないかもしれないって思って悩んでいたんです。地域に出たい気持ちも大きかった。乳児院に来たら地域とも繋がれるし、退院していった子どもたちと会えるって。産科外来にいたので、そこで関わっていたお母さんのお子さんも乳児院にいたんですよ。
それとちょうど乳児院の多機能化(※1)が言われていた時で、特定妊婦(※2)のサポートもしていきましょう、育児サークルもやってみましょうって。ここに来たら助産師としてやれることがいっぱいあるんじゃないかなってすごく思ったんです。
※1 乳児院の多機能化:一時保護委託、里親支援機能の強化、在宅支援や特定妊婦の支援強化など、地域における家庭養育の支援を行うこと。
※2 特定妊婦:出産後の養育について出産前において支援を行うことが特に必要と認められる妊婦のこと
― 実際に来られてどうでした?
ずっと日赤医療センターの周産母子・小児センターで働いていたので、医師も助産師も大体顔見知りなんです。それなのに、乳児院に来たら、知らない人ばかりというのにまずショックが大きくて。
コロナ禍でマスクしているし、保育士さんは名前もわからない。下駄箱まで追いかけてって、下駄箱の名前を確認したりしながら職員の名前を憶えていきました。最初は本当にどうしたらいいんだろうっていう感じでした。
でもなんかのきっかけで保育士さんと子どもたちのことをお話したんです。担当のお子さんのことをお話しすると、保育士さんはまるで自分の子が褒められたような感じで喜んでくれて、それをきっかけで保育士さんとお話しするようになったんです。子どもが喜ぶこととか、子どもに何をしてあげられるかっていうことを一緒に考えていくうちに、子どもを通して職員ともコミュニケーションをとれるようになったと思います。
「名前」を呼んでもらうってこんなに嬉しい
― 乳児院で印象に残っていることはありますか?
すごく覚えているのは最初に自分の名前を子どもが呼んでくれた瞬間です。想像以上に嬉しくて、「え?今、私の名前を呼んでくれた?」みたいな感じで。すごい、こんなに嬉しいんだと思いました。その子はもう退所して児童養護施設に行ってしまったのですが、退所前に絵を描いてくれたんです。その絵はもう宝物ですね。名前を呼んでもらえるのってこんなに嬉しいことなんだって思ったことは忘れないです。
― 師長さんはお部屋に入ると必ず子どもたちの名前を一人一人呼んでいますよね。
お子さんも名前を呼ぶと振り向いてくれるじゃないですか。小さなお子さんもやっぱり自分の名前だって分かっていると思うんですよね。それと、その名前をつけてくれたのは実の親御さんですよね。そこは忘れないでほしいなって思っているので、子どもの名前は必ず呼ぶようにしているんです。
その子にとって1番いい場所を見つけるために
― 4年目に入ってやりたいことはありますか?
入所する子どもの情報を見ていると、虐待にあったお子さんもいて、そうなる前の援助をしたいって思います。お子さんのケアはもちろん重要なんですけど、虐待にならせないようなその前の支援を助産師としてやっていきたい。特定妊婦の訪問とかができるように、病院の産科ともうちょっと繋がっていけたらいいなと思います。子育てサークルもショートステイも枠を広げて、子育て支援をしていけたらと。
それと、子どもたちの成長を時間をかけて見守れるのは嬉しいですけど、やっぱり身体が大きくなるにつれて部屋も狭く感じるようになるので、何人もの子どもたちが生活していくには年齢的な限界は絶対あるんです。だからその子にとって1番いい場所で生活できるようにさせてあげたいっていうのはすごく思います。
長く関わりたい気持ちもいっぱいあるけど、子どもたちに合った場所で生活できるような働きかけはもっと積極的にしていかなきゃいけないと思っています。
特にここは医療的ケアが必要なお子さんが多いので、そういうお子さんが大きくなった時に暮らせる施設と連携を取っていきたいです。
先日、障がい児施設に見学に行ったことがきっかけで、お子さんの新しい生活の場として繋がれたことがあったんです。児童相談所が探してくれるのを待っているだけではなくて、こっちからどんどんアピールしていくことも必要だなと思います。
子どもにとっても職員にとっても「実家」でありたい
― これからこの乳児院をどんなところにしたいと考えていますか?
ある里親さんが養子縁組したお子さんを連れてたまに遊びに来てくれるんですが、毎回来るたびにお菓子を持ってきてくれるんですよ。「お菓子とか持ってきてくださらなくていいんですよ。気にしないでください。」って言ったら、「ここはこの子にとって実家なんです。実家に帰る時ってお菓子持って行きますよね。」っておっしゃって。それを聞いた時に、「ああ、もっとここを子どもたちの実家になれるような施設に出来たらいいな」って。それは子どもにとっても、働いていた職員にとっても。
実は乳児院って書庫に古い記録とか取ってあって、最初にここに来た時に「え?なんで?」って思ったんです。でも、この間、40歳代の方から、「この乳児院で育って、今、遠くに住んでいるんだけど、自分が子どもの頃の思い出になるようなものってありますか?」ってお問い合わせがあったんです。それで家庭支援の職員が書庫を探して、その時の保育日誌をコピーして送ってあげたらすごく喜んでいただけて。「あ、だから取ってあるんだ」って思って。実家だからだって。
本当にいつでも会いに来ていいんだよって。みんなが帰ってこられる場所になれるような施設にしたいなって思っています。